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170929川越 その2

つづき。
その1 ⇒

中院から歩いて移動。
巡回バスを使うほどの距離ではないので(歩いて5~6分くらいの距離)ふらふらと。
…行先と逆方向を歩いていた( ;谷)
戻って再び歩く。
レンタサイクルのおねえさん達とすれ違った。あー激混みのバスより自転車の方がいいよなぁ。
しかし体調がイマイチ。自転車漕ぐほど元気ではないのでやはりバスしかないんですよね。
途中にある仙波東照宮の前通っても階段上るのがしんどいのでお詣りには行きませんでしたし。

到着。
喜多院。

山門。
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喜多院とは。
平安初期の天長7年(830年)、淳和天皇の命で円仁(慈覚大師)が建立し、当初は無量寿寺と号した。無量寿寺には北院、中院、南院があり、伏見天皇が尊海僧正に命じ関東天台宗の本山とした。後伏見天皇は東国580寺の本山としての勅書を下し、後奈良天皇は星野山の勅額を下した。永禄年間(1558年 - 1570年)頃までは3院が存在していたが、寛永10年(1633年)に中院のあった場所に仙波東照宮が建てられた為、中院はさらに200m南方に移動し、南院は明治の初めに廃院となり、その一角とされる場所には数十基の石の塔婆が残っている。
慶長4年(1599年)、徳川家の尊崇が厚かった天海僧正が第27世住職として入寺し、寺号を喜多院と改めた。川越藩主となった老中・酒井忠利は喜多院の再興に当たった。慶長18年(1613年)には徳川秀忠の関東天台法度により関東天台総本山と定められ、500石の寺領を賜った。寛永15年(1638年)、川越大火で山門と経蔵以外の伽藍を焼失するが、翌年、徳川家光の命で、江戸城紅葉山御殿の一部を移築した。これが今に残る客殿、書院、庫裏であり、これらを運ぶために新河岸川の舟運が開かれた。川越藩主を経て幕閣で老中にあった堀田正盛は喜多院や仙波東照宮再建の奉行を命ぜられ、天海を助けた。4代将軍・徳川家綱は200石を加増し750石・寺域48,000坪の大寺となり、徳川家に厚く保護され隆盛した。
「日本三大羅漢」の1つ・五百羅漢は天明2年(1782年)から文政8年(1825年)の半世紀にわたって建立されたもので、538体の石仏が鎮座する。石仏はすべてが異なる表情・ポーズであるが、深夜、羅漢の頭を撫でると1つだけ温かいものが必ずあり、それは亡くなった親の顔に似ている、という伝承が残る。
越前松平家の流れを汲む松平大和守家の川越藩主(川越で逝去した松平朝矩から松平直侯まで5人)の廟もある(wikiより抜粋)。

慈恵堂。
県指定有形文化財。
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慈恵堂にお詣りしてわかったのだが、今年本厄だった( ;谷)
60まではないと思ってたのに。
護摩までかなり時間が空いてしまうので厄除けのお守り買いました。

多宝塔。
県指定有形文化財。
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小江戸川越七福神 大黒天。
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慈眼堂。
国指定重要文化財。
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階段パスの日なので遠目に拝んでおしまい。
古墳の上に建てられているんですって。

厄除け団子食べました。
( ゚Д゚)ウマー
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中院同様さらっと見学して御朱印いただいて終わりにしてしまった。
この日は見なかったが五百羅漢は人気高いらしいので今度は是非。
実に味のある羅漢像。画像見ているだけでもほっこりしました。
公式サイト ⇒(羅漢像の画像見られます)



喜多院に今回初めて行ったのだが、春日局フューチャーされているものとばかり勘違いしていた。
文京区の春日の方が所縁あるかなぁ。
つづく。
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